日本共産党議員団 暗闇の地下水路に入る
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不明水路に入る(右から)
湯原議員、辻本議員、つばきの議員 |
12月4日、ゆはら季一郎議員、つばきの利恵議員、辻本たつや議員は西明石南地区に戦前造られた地下水路の調査に行ってきました。
地下水路は西明石南地区全体に6系統8路線あり、全延長約3.1kmにわたります。
この日、私たちが調査した水路は、8路線の中でも一番大きいものでした。更に、水路の中に入っていく
と、中は真っ暗で、懐中電灯の明かりもたよりなく、足元も非常に悪いため、奥のほうまで入っていくことは無理でしたが、湿気を含んだ空気が充満しており、天井を見るとむき出しの鉄筋は錆び、劣化しているため陥没の危険性もあり、決して安全な状態ではないということがわかりました。
地図も資料も残っていない軍事機密の地下水路
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| 調査をする辻本議員 |
さて、このような水路は、いつ造られたのでしょうか。
資料によりますと、昭和15年9月、西明石南地区に軍需工場であった川崎航空機工業が開設されたとあります。その際に工場や飛行場の地下にコンクリート製の水路が造られ、更に、戦時中には、これらの水路が防空壕としての役割りをしていたということが、市民の空襲体験記などに記されています。
また、辻本議員もこの日の調査の帰り、学生時代に社会科の先生から「あの辺りに地下水路があり、防空壕として使っていたが、今はもうない」と聞いていたことを思い出し、先生が「もうない」と言っていた水路が実際に残っており、辻本議員は「驚いた」と話していました。
しかし、軍事機密であったため戦前、戦後を通じてこれらの水路に関する資料は一切なく、所有者及び管理者も不明となっており、実体はつかめていませんでした。
その実体が明らかになったのは、H11〜12年にかけて明石市下水道部が水路の敷設経路と劣化程度を把握するための調査をしたときです。
20年前、家の建て替え時に水路が
湯原議員は20数年前、貴崎の住民が家を建て替えた時に、住民から「ちょっと来てくれ」と要請があり、現場へ行ってみると水路から水があふれているのを見たことがあり、また、西明石南地区の住民から「地下から水の音が聞こえる」と聞いたこともありました。最近の調査でこそ、この水路の存在が証明されましたが、それ以前から、このあたりに水路があるのではないかという住民の証言はあったのです。
去年、湯原議員は不明地下水路に関して議会で質問(2002年3月議会、湯原議員の質問をご参照ください)しましたが、実際、地下水路に入ってみてこのような大きな水路が残っているとは思ってもみなかったそうです。
地下水路の安全対策へ
戦後、工場敷地の一部が宅地開発等により分割され、水路の上に家屋等が多く立ち並んでいます。現在、これらの水路は家庭雑排水、道路排水、工場廃水、農業用水施設等として機能がありますが、60数年も経た地下水路の一部に劣化も見られるため、安全対策のための補強と充填工事を段階的に行い、平成28年度までにすべての水路が廃止可能となります。
日本共産党明石市議団は、これらの水路は戦前に国策で造られたものですから、市民の負担にならないよう国の責任で解決して欲しいと、国会でこの問題を取り上げるよう働きかけます。
≪水路整備にかかる事業費≫
| 水路補強等安全対策費事業(平成17年まで) |
約9億円 |
| 水路廃止までの雨水排水施設整備事業費(平成28年まで) |
約25億円 |
≪土地の所有者の経緯≫
| 昭和10年代 |
約182haを用地買収(昭和15年9月に川崎航空機工業(株)開設) |
| 昭和20年代 |
川崎産業(株)・農水省 |
| 昭和30年代 |
川崎航空機工業(株)・個人 |
| 昭和30年代中頃 |
川崎重工業(株)・兵庫県・明石市・国鉄・個人 |
| 現在 |
川崎重工業(株)・公営住宅・学校・JR官舎・個人住宅等 |
≪水路の概要(工場内の水路は除く)≫
| 水路番号 |
断面 |
延長 |
| 0号水路 |
2500×2500 |
249.55m |
| 1号水路 |
900×750.0900 |
1058.85m |
| 2号水路 |
1700〜1300×1300 |
724.50m |
| 3号水路 |
1100 |
工場内水路 |
| 4号水路 |
1600〜1300×1300 |
234.50m |
| 4号水路 |
1600〜1300×1300 |
234.50m |
| 5号水路 |
1500 |
251.90m |
| 5号水路 |
1500 |
249.90m |
| 5号水路 |
1500 |
102.53m |
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