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でも、さかな大好き
ゆはら季一郎
私は日本海の寒村に生まれた。海の荒れる真冬をのぞいて、朝から晩まで外で遊び、海や山に入っては、木の実や貝や雲丹を取って食べていた。戦後の食料難の時代で、結構それで空腹を満たしていた。そして家に帰ればおかずはいつもさかなで、さかなは家族の食料の大部分を占めていたのである。
よく食べただけに、食べ方もうまかった。大学生になってクラブの合宿があった。当然さかなも食事にでてくる。あるとき友人が食べ終えた私の皿をまじまじと見て、「お前はさかなを食うのがうまいのー」と感心して言った。その友人の皿をみると確かに、お腹や目玉やあごの部分など、たくさんの身が惜しげもなく残されているのである。私ははじめて他人とさかなの食べ方がちがうということに気がついた。俗に言う猫またぎである。誇らしさを感じた。
故あって明石で職についた。妻は現地調達である。明石原人だからさかな大好きかと思えばそうではない。当たり前だが一緒に食事をする。彼女はたまに切り身を食べるときも先ず皮、骨、血身をとり、白い身だけを残してそれではじめて食べるのである。私はあいも変わらず「猫またぎ」である。しかし次々と子どもが生まれ、みんなで食べるようになると、「猫またぎ」がマイノリティーとなり誇らしさも薄れていった。
ある土曜日、長女を保育所から連れて帰り昼食をとったときのことである。熱いごはんに、焼いたメザシをおかずに幸せいっぱいの食事をしていた。少し利発なこの娘が、私が丸ごと食べるのを見ながら「お父さん、おさかなのおかおも食べるの?」といった。私は「顔」といわれてビックリした。頭は食べた
が、「顔」を食べたつもりは全くなかったからだ。発想のおもしろさに感心しながらも何となく気持ちわるい言葉として残った。その後、メザシは「頭と顔」、内臓、しっぽをきちんと取って食べるようになってしまったのである。
やがて経済的にも少し安定し、飽食の時代もあっていつの間にか私は「脱猫またぎ」になっていた。しかし、ごはんにはさかなは欠かせない毎日であった。
そして最近ある詩を読んだ。さかな大好きの私は、大きなショックを受けた。
朝焼小焼だ 大漁だ
大羽鰮の大漁だ
浜は祭りの ようだけど
海のなかでは 何万の
鰮のとむらい するだろう(金子みすゞ「大漁」より)
ウーン、困った。いわしが葬式を出すとは思わなかった。でも、やっぱり私のさかな大好きは変わらないだろう。
*神戸新聞11月文芸欄・エッセイ部門「佳作」に選ばれたものです
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